- HERITAGE
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- (文化遺産[広島県])
- 登録基準とは

世界遺産登録理由
1915年、広島県物産陳列館として開館。1945年の原爆投下により本体部は全壊したが、ドーム部は外壁を中心に残存。その後、存廃に付いてさまざまな議論の末、1966年に市議会が永久保存を決議、定期的に補修活動が行われている。登録審議ではアメリカは強く反対、中国も日本の戦争への反省が足りないとして棄権したが、「顕著で普遍的な意義を有する出来事と直接にまたは明白に関連するもの」として、1996年に世界文化遺産に登録された。
核兵器の恐ろしさ後世に伝える

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悲劇の瞬間はどのようにやってきたのか?
米軍による空襲を受けていない広島、小倉、長崎、新潟が原爆投下の候補に挙げられ、作戦実行の1945(昭和20)年8月6日、攻撃の第一目標は晴天の広島に決定。午前8時15分、高度9600mの米軍機エノラ・ゲイから重さ4tの原子爆弾が照準点の相生橋に投下された。目標はわずかにそれ、島病院(現在の島外科)の上空約600mで炸裂し、爆発にともなってキノコ雲が発生。熱風・爆風・放射能の脅威が約35万人と都市を襲い、爆心地周辺の地表温度は4000℃にも達した。
原子爆弾の脅威を永久に訴えかける
元安川と太田川の合流点近くの河畔に立つ原爆ドームは、その名の通りドーム型の屋根の骨組みを残し、被爆当時の様子を物語る貴重な建物。原爆炸裂時、衝撃波をほぼ真上からから受けたこと、レンガ造りで窓が多い構造から爆風が吹き抜けたこと、ドーム屋根が鉄よりも融点の低い銅板葺きであり、爆風が到達する前にこれが解けたことで、爆風が通過したことなどが、この象徴的な建物の姿を奇跡的にとどめることになったとされている。
これまでに「悲惨な記憶を呼び起こすものだから撤去すべき」という意見も少なからずあり、その存廃についてたびたび議論されてきたが、1960年に被爆が原因と思われる急性白血病で亡くなった少女の日記の「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」という一文に後押しされる形で永久保存が決議され、今も定期的に補修活動が行われている。日没から日の出まではライトアップされている。
原爆ドームの対岸には広大な敷地を持つ平和記念公園が広がっている。原爆死没者慰霊碑は、犠牲者の霊を雨露から守ろうと埴輪の家形にデザインされ、正面から見ると、屋根の下に原爆ドームの姿を望むことができる。被爆者の遺品や原爆に関するパネル展示などがある「広島平和記念資料館」、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんと、犠牲になった多くの子供たちを慰霊するために建てられた「原爆の子の像」、レストハウス近くにある「平和の灯」なども見ておきたい。
アクセスDATA
POINT
平和記念公園内はさわやかで快適な乗り物で
平和記念講演をめぐるなら環境にやさしい交通手段として人気急上昇中の「ベロタクシー」(後部二人がけの自転車タイプタクシー)がおすすめ。
また、元安川から太田川を北上する「川の遊覧船すいすい」からは原爆ドームをはじめ両岸の景色が眺められる。
- ベロタクシー TEL:082-249-6257
- 営業
- 11:00〜17:00(12月〜3月と雨天時休)
- 料金
- 500m ¥300(50m毎にプラス¥50)
- 平和記念公園1周コース(土日祝を除く)¥500
- 川の遊覧船すいすい
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1.平和の尊さを現在に伝えている 2.丹下健三氏設計の広島平和記念資料館 3.家の形をした原爆死没者慰霊碑 4.平和記念公園内の嵐の中の母子像 5.折鶴が手向けられる原爆の子の像
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